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いやーいやいや、やばいっ、やばいっすよ。村上春樹に脳みそもってかれましたねー。
うますぎますよ、話の作りが、、。

アメリカの、70年代を境に資本主義体制が確立されゆく中、反体制の立場をとる若者達は更なる自由を求め、メキシコへと国境を越えていく。。。

人は前にしか進めない。

誰もが探し求めている「何か」をナットキングコールの「国境の南、太陽の西」という歌と、その時代背景とともに、主人公の揺れ動き、さ迷い続ける心を巧妙に表現してましたねー。

女性の中に自分の中の何かを見出だそうとする主人公だか、長く待ち続け、やっとの思いで手に入れたその女性に対する「何か」とは、自分の中に見出だしていた幻想だったのではないか?

激しく暴走していく主人公の傲慢な果てしない思い。
まるで何もない、永遠に続く砂漠の中に、蜃気楼と共に現れた幻影オアシスを求めさ迷う様。

人間が持つ、いや、男が持つ繊細で、時として強いが、傲慢すぎる故に虚しく、心が女性のやわらかさを求めずにはいられない、、。

いやー辛いっす。。。

この展開を、昨日、仕事帰りに夜な夜な、マクドナルドでマックチキン&コーラS、合計200円で粘り、一人で目の球でかくして一気読みしちゃいましたよー。


なんとも自分なりに結論づけようがないにしても
そのやわらかな「何か」というものは形あるものであるが、形あるものはいずれ形がなくなるもの。
形があって形はいずれ崩れ、中間的でなくはっきりしたものでなくてはならない。。。



げー、、、(嘔吐)


長々、書いてしまいましたが、そんな感じで少し、ノスタルジックな心のまま世界が自分にも見えています。


村上春樹を立て続けに読むのも、同じ味わいは飽きてしまうので、書評で同じような作風と書かれていた、安部公房代表作の「砂の女」を買ってみました。

1962年に発表し、フランスでは最優秀外国文学賞を受賞した作品だそうだ。これにも当時の社会性と男と女、本来の人間存在の象徴的姿を読み解ける作品らしい。


がー。がー。脳みそフル回転です。

フル回転の今が好きー♪
フル回転の君が好きー♪
米米?

ではまた。