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いやいや、またまた菊男日記更新貯めてしまいました。
何が悪いって?、
そりゃiPhoneが文字打ちにくいからなんですよ。(怒)
長く更新しなくて、ごくたまに、アクセス数をチェックすると、意外にもこの菊男日記をチェックしてくれているアングラなお方達が!!!
いざ、いざ更新せねば!
心の叫びを!

つーことで、先月から、やっと待っていた本が発売されましたよ。

一部、脳みそに他者の思考をいれなければで勉強本として読んでいる。隔月本、
atプラス08震災緊急時特別号。
今回、巻頭コラムを飾るのは、建築家、磯崎新さん。
題名は瀕死の建築ですって。。

建築は、人と都市を繋ぎ、はたまた国家を作ると、、。
インド人のマハリシ マヘーシュ ヨーギーの空中浮揚の話からヒトラーのニュルンベルク党大会のサーチライトの話まで、かなりイッちゃってます。
外圧ー内乱ー受容ー変形

この度の震災以後、新たなる可能性を切り拓くには物狂いの沙汰でなければならないと!!
解る!解りやす!
自然災害も想定外と言うのなら、受容する側も想定を超えなければ!!そりゃ空中浮揚の話になりますわ!!

しかし!今回この本の中で一番ハッとさせられたのは、大塚英志さんの戦後文学論、高揚と喪失です。

僕自身が震災後なんだか、ふわふわ、つかみどころがなく、やや鬱っぽいなんとなく浮いてるような気持ちに陥ってるのはどういう状態なのか、この論考でバチこん、ズシーンと来ちゃいました。
そう!!言うなれば、終戦後の日本と同じなのです。
はたまた80年代の安保闘争を外部から傍観して、挫折感を味わった当時の人間と同じなのです!!

高揚と喪失。深い!

戦後文学とは、悲劇を高揚に変え、憂い、まるで怖いもの見たさのように悲劇を求め愛す文学なのでは、、、。
知らない間に自分達はいつしか悲劇をリアルな充足の場として、受容する身体性が戦後文学によって、染み付いているのではないか、、。
太宰や、坂口安吾、三島由紀夫も、しかり。

震災直後の、あの、チェルノブイリ級を待望しているかのようなメディアの在り方や、買占めに走る国民の姿。。
もはや、高揚と喪失感は否めないのではないか。

そこかしこに転がっている論考の中、この方はかなり素直な心情を語っていて、見事な切り口だと思いました。

内田先生も「リスク」の話をしていましたが、結局の所、自分の許容できる責任を大きく超えたリスクをそれぞれが負った結果なんですよね。

その大きく超えたリスクを取ることになにかこう簡単に口では表すことのできない甘さや、高揚感があるのです。
リスクヘッジと高揚感に関しては話は別なんだろうけど、、。

激しい喪失感を味わった人間はもはやロストですね。

高揚感と喪失感の甘くてほろ苦い関係性。。。

あらあらなんか、ヤバい話しになって来ちゃいました。
申し訳ないのですが、不謹慎だとは思わないでください。
誰しも自覚症状はあったはずです。。。

高揚感も喪失感も自覚して、尚日々をたんたんと生きる事、それが1番難しいんですね。

って、、今の僕はもはや、時間軸すらも怪しくなってきました。

自分の人生は何時、何処でどんなタイミングで終わりを迎えるのであろうか?

人生は儚い。
自分にもあてはまるんだろうな。。

今までの人生で気付かずに刷り込まれたフォーマットを塗り替えるにはなかなか難しいですね。

いやいやしかし、
ほんと勉強になりますわ!